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9月28日
かかってくる電話は留守電に入っているT女史に任せて無視をしながらデスクに向う。
溜まっている仕事を土曜日の午後落ち着いて処理をしているところへ、また資産運用の飛び込みセールスが入る。今日は朝から自宅にも電話が入った。
あのね〜この時代に資産を運用出来るような人ってなかなかいないでしょ?運用できる資産があるくらいなら土曜日にまで仕事しないって。どうしてそういうことわかんないのかな。名刺?いらないよ、どうせ捨てるんだから、もったいないでしょ。そこにほら、再生紙って書いてあるじゃない。再生されてすぐにまた捨てられるんじゃ名刺も可哀想ってもの。
電話はいったん断ってもまた別の社名でかけてくる。
人のお金を回して儲けようと考えずに、汗水たらして自分で稼ぎなさいよ、ね、まだ若いんでしょ?どうしてこんなところで説教しなくちゃいけないの?

途切れた集中力を元に戻すまでに時間がかかる。
で、仕事の前に、この怒りをとりあえずうらじゅんにかいておこうと思ってね・・・・
え?その前に仕事あるでしょ、だって?
それは確かにあります。
でもね、こうして書くことで気持を静めるって手もあるんですよ、あなた。

・・・またセールスが・・・・・・・・・・・
今度はつまんない商品の押し売りでした。鍵締めちゃったもんね。
まったくセキュリティーの効くオフィスなのに・・・ふん

(土曜日特別版でした)

9月27日
嬉しいこと、辛いこと、何かにつけて大阪人は心斎橋にある道頓堀川に飛び込みたがる傾向が最近見られる。
書くのが少し遅くなったがジャイアンツが今年は優勝した。・・となると東京ではやはりどこかに飛び込んでその感激を味わう人がいるのだろうか。
神田川、荒川あたりがその対象となるのかどうか、現在のところ判明はしていない。
W杯の頃はあちこちで川に飛び込んだりしているシーンを見たような記憶もあるが、それももうずっと前のことのような気がして思い出せないでいる。
その代わりに思い出したことがある。
仕事でおつきあいをさせてもらっているK社の九州支店、K氏のことだ。
九州といえば福岡、博多、である。ラーメンが美味しい、魚も美味しい、それになんといっても中州にある屋台が有名なところである。
彼は中州の川に何を思ったのか、それとも誰かにたきつけられて、なのかそれは明確ではないが、とにかく飛び込んだ。
おおおお・・・というどよめきの中飛び込んだのだそうだが、飛び込んだっきり浮かんではこない。
救急車だ、いや警察だ、なんて騒ぎの中、彼は浮かんできた。
心配そうに覗き込んでいたそれらの野次馬の目をよそに彼はシンクロナイズド・スイミングよろしく上半身裸でズバババーーっと浮かび上がってきたのだった。
片手に自分のパンツを持って・・・・。
拍手喝采・・・と彼の思惑はみごとにはずれ、それに腹を立てた観衆は石は投げるは、おしっこをかけるはで、そりゃあもう大変な目にあったもんだ、と後日とある社員からその話を聞かされたことがある。

中州の川は汚さでは一流でもある。
そこから浮かび上がってきた彼はタクシーにも乗せてもらえず、濡れた服を抱えて歩いて帰ったそうだ。しかも数日後傷口からばい菌でも入ったのか顔がはれ上がったそうである。悲惨な体験である。

「もしもし・・Kですが・・・」
「どうですぅ、元気にやってます?」
「いや〜あいかわらずですよ、ははは・・」
暗い過去をすぐに忘れられる彼が、好きだ。

9月25日
昨日は牧師の話を聞きながら寝てしまったことを書いた。
僕の場合は講習会でもよく寝てしまう。
最初は張り切って聞いているのだが、すぐ眠くなってしまって、しかもたいていそういうときの講師は抑揚のない声で話をする場合が多いので、寝る。
もらったばかりの講習テキストにシミをつくるほど熟睡をしてしまうこともある。
時々逆に講習会を依頼されることもあるのだが、そういうときに初めて眠っている人がいかに目立つか、ということに気がつく。自分ではわからないように聞いている振りをして、そして目をつぶってしまうのだが、話し手から見るとよ〜くわかってしまうんですよね、これが。
以前M市で専門分野の講習会を依頼されて話を始めた。
ちょうどタイミングが悪かったのか、始めた時間が午後一番だったのでそれでなくても眠くなる状況ではあった。
話を初めてしばらくすると、目の前の女性が白目(シロメ)をむいている。
これはちょっと怖い。
シロメをむきながら身体が揺れている。しかもその身体の動きと少しばかり異なった動きで頭がゆらゆら揺れている。
これはもし夜中にそういう人が突如目の前に現れたなら、びっくりして腰を抜かしそうになるでしょう、きっと。
シロメをむきながら、頭がゆらゆらそして身体が左右にぎこちなく動いている、それを見ながら僕は誠実に話をした。いきなり頭が後ろに、ガクッ!シロメが怖い・・
口を大きく開きながらまた元に戻ってぐらぐら・・・
2時間程度の講習会はまわりの人は誰も気がついていないそういう状況の中無事に終わった。
人のことは言えないよね、僕も。

9月24日
23日は朝から8月に亡くなった叔父の納骨の日であった。
高羽地区にある墓地でキリスト教であるからして、牧師の話とともに儀式がしめやかに行われた。その後、JR六甲道駅近くのレストランで親戚一同にて賛美歌斉唱と共に儀式が続行された。
儀式の後一同を介して食事が始まるのだが、その前に再び牧師の説教が始まる。 連休3日の内、2日間、つまり土日とオフィスで仕事をしていた僕は、レストランの椅子に座ったあたりから疲れが出始めていた。
牧師の話が始まる。「主は・・・・・・」ふむふむ、なかなかいい話をしているな、と聞いていたのはここまでであった。腕組みをして目をつぶりながら話を深く心に受け止めて亡き叔父を偲ぼう思っていたのに不覚にも眠っていたらしい。
ふと目を開けると長いテーブルの向うに座っている両親、おじおば連中が僕の方を向いて心配そうに見ている。たまたま説教をしている牧師の位置は僕の二人隣であるから彼からは見えなかったらしい。
食事が終わって解散となったところで、母が僕に聞いてきた。
「疲れてるんじゃないの?」
「ん?大丈夫だよ。問題はない。」
「だけど、寝てたでしょ?」
「あれはね、目を閉じて牧師先生の話をふか〜く受け止めてたんだって。」
「だけどいびきかいてたけどね・・・・」
疲れていたらしい。
病床に伏せていた叔父がそういえばこんなことを言っていた。
「淳ちゃんは一番手がかかって大変だったよ」と。
「そういうことはあったね〜。そういうガキがもういまやこんなオッサンになっちゃってね〜、ハハハ・・・・」
いやいやどうして、この歳になってもまだ叔父には厄介な甥っ子でありつづけたに違いない。天国の叔父もその時は苦笑いをしていたことだろうと、夜バルコニーから見上げた時に見えた中秋の名月を見ながら僕はそう思った。

9月20日
仕事柄、電話だけで顔を見たことがない、という場合が多い。
神戸で仕事をしているわけだからそんなこたぁ〜ないでしょう、あなた!といわれるかもしれないけれど、仕事のテリトリーは沖縄から東京あたりまでに及んでいる。
であるからして、いろんな所から電話が入る。
夏場はともかくとして冬場に岩手の同業者から電話が入ると
「寒くなりましたよね〜」「もうこちらでは朝から雪かきで・・・」
そのあと沖縄から電話が・・・
「寒いですよね〜」「いや〜、暑くって今日は半袖ですよ・・」とくる。
同じ日本でもこうも違うということをそういう時は実感させられる。
話が少し横にそれたが、とにかくよく電話をして打ち合わせなどをしているのに、相手の顔がわからない。極端に言えば知り合ってから数年経ってやっと顔を合わせるということがよくあった。
電話のイメージがそのまま自分本位なものに創り上げられていく、そういうこともある。
沖縄に、具志堅氏というもう10年以上に渡っておつきあいをさせていただいている人がいる。
Cafe Breakにリンクをさせてもらっている方なのでもあるが、彼とも電話でのお付き合いが始まって初めて会ったのは6年ほど経ってからのことであった。
具志堅用行というプロボクサーが昔いたのだが、僕の頭の中のイメージは、それであった。
「調子はどうですか、具志堅さん」
「ちょっちゅね〜〜」
とインタビューを受けていたちょび髭のアフロヘアーのボクサーだった。
そのイメージが僕にはずーっとあって、沖縄の具志堅さんといえば「ちょっちゅね〜」であった。
ところがついに初めて出会うことになり、そして会った。
紳士だった。ちょび髭でアフロのオヤジ、ではなかった。
このときの精神的な動揺、そしてイメージとのギャップにしばらく立ち直れなかったという記憶がある(んな、おおげさな・・・)。

逆にいえば、電話だけの応対で、僕という人物はどのように映ってるんだろうな、と考えてしまう。
「はい、小川ですが・・・」あえて低い声で落ち着いて話をする・・・こういうときはまさかちょびにアフロだとは思わないだろう。
焦って「はい、じゅんあちょちえいちゅでしゅ・・」となるとお茶目なオッサンととられるのだろうか・・・
と書いているところへ今電話が入った。
「はい・・・じゅんあそしえいつで・す」少し気取って受話器を取る。
「な〜んだまだいたんですかぁ」アルバイトの学生であった。
「なんだよぉおおお・・・おまえかあああ・・・・・」

イメージは ちょっちゅね〜 のオヤジと同格なんだろうな。

9月19日
後ろから手をかけ、「よぉ〜〜」と肩を揉みながら話し掛けているオヤジと、いきなり肩を揉まれたけれど、同僚だと気がついてニヤリとするオヤジ、を信号待ちをしているときに見た。
オフィスなどでは一昔前に見られた光景であるが、まさか街角でそういう場面に出くわすとは思わなかった。
退社間際にデスクに向っていると、後ろからソロ〜っと来て、
「xxちゃん、まだやってんのぉ?かる〜くやろうか?」
もちろん相手の方を自然に揉みながら・・・。そういうオヤジも最近は見かけなくなった。
退社時間が来れば各人各様に立ち上がって帰っていく。
アフター5は携帯をポチポチやりながら帰路につく、これは男女限らずそういうシーンはあちらこちらで溢れ返っている。
そういう時代に、肩揉みオヤジの出現に少しほっとしたような気分になった。
それはそれで良き時代に生きた男の習性だったのかもしれない。
基本的に言えば、相手に触れてコミュニケーションをはかる(変な意味ではないが、電車の中でつい痴漢をしてしまった男がそういう言い訳をしても通じはしないだろうが・・・)という感性が乏しくなっていってるんだろうなと思う。
自分が触れるのは手の中にある携帯であり、そういったツールを通してしか相手とコミュニケーションをはかれない時代になったのかな・・・なんて考えさせられてしまった。

とはいっても、「Fちゃ〜〜ん、がんばってるぅぅ」なんてオフィスでご機嫌取りをやろうとは思わないが・・・。

締め切り間際のオフィスに肩揉みオヤジは似合わない。

9月17日
小泉首相が平壌に到着した。予想通り金正日の出迎えはなかったらしい。
僕の中にあるイメージとしては、広域暴力団の会長のところに向う銀行の支店長、という図がある。
テレビで映し出されている小泉さんの後ろにいる安部晋三官房副長官はまるでお供の係長のような立場であろうか。
融資を踏み倒された上で、また融資を、というような構図が浮かんでくる。
別に政治について語ろうと思ったわけではなく、朝のワイドショーでそういうシーンをチラッと見ながらオフィスに向ったのだが、なんとなくそれが頭のこびりついていたので書いただけです。
今、広島からのお客さんと会食をしてオフィスに戻ってきたところだ。
なんとなく不安な日本の情勢はテレビの中のものだけであって現実としては誰も感じていない、というところがまた怖いところでもある。
僕にしても、そういうものよりも今目の前にある明日の朝までのノルマをいかにこなそうか思案中であり、政治はその次に、としか考えてはいない。いや、その前に今食べたわらび餅は美味しかったな〜ということのほうが先になっている。
刹那的な気持を今目の前にある何かに置き換えてそれを忘れようとする・・・それは僕だけではなく全ての日本人が感じていることなのかもしれない。
Y社広島支社のMさんも現実から逃れるためにタクシーに乗って西の方にある風俗街へ消えていった・・・笑顔で・。

9月13日
・・の金曜日である。
さしてそういう縁起を担ぐつもりはないのだが、敢えて飛行機はやめて電車で松山へ行く(結局担いでるんじゃないか)。
愛媛県の松山市、夏目漱石の「坊ちゃん」で有名なところであり、一六タルトはまあまあ美味しい。
2時頃からの打ち合わせが延びて結局5時から現場で打ち合わせが始まる。
当初は早めに切り上げて、ゆっくりのんびり神戸に帰ろうと考えていたのだが、そういう状態ではなくなってきている。
大阪から来ていたK社のS氏は早く切り上げて飛行機で帰ろう、と僕にこっそり横から言っているのだが、敢えて縁起を担ぐつもりでは、決してない僕ではあるが、「飛行機は無理ですよ、きっと。6時42分の電車でのんびり帰りましょう」・・・
だけどこの調子じゃあそれも無理かも・・・・・。
打ち合わせが終わったのが6時10分。ちょうど松山空港から飛行機が飛び立った時刻である。
「電車ですよ、電車、ね、Sさん」。市内の渋滞に巻き込まれて駅に着いたのが6時35分。とりあえずビールを買い込み電車に飛び乗る。
考えてみればたかだか1時間ちょい程度の打ち合わせにまるまる1日を費やしたことになる。
13日の金曜日はそういう意味ではあまり組み合わせはよくないのかもしれない。

9月12日
堺市役所に行く。
担当者に構造的な説明を行い納得してもらうという、まあいつものことである。
その場所は御堂筋線難波駅で南海高野線に乗り換えて堺東駅を降りてすぐというところに位置している。南海電車に乗るとディープ大阪へやってきたなと、そういう思いがいつもする。
向かいに座っているオバチャンは足を広げて堂々とスポーツ新聞を広げたおしている。
僕のほうから見える紙面に、大きな見出しで 怪物娘 とあった。
何なんだいったいこれは?
モー娘ならわかるんだけど、怪物娘、ときた。新たなユニットなのか・・・
それにしてもそのネーミングがすごい。
よく見ると、競馬の欄であり、僕は競馬はやったことがないのでわからないのだが、なんとかモーションという実力がぬきんでている牝馬のことをクローズアップしていたわけである。
怪物娘という見出しと、その先に顔半分だけが見えるメガネをかけたオバチャン・・・・ディープな大阪の電車だ。

帰りは難波で遅めのランチを摂るつもりでいったん地上へ出た。
難波・・・通称ミナミであり、「ミナミの帝王」の地元でもある。
オフィスへ萬田銀行でお金を借りてから帰ることを伝えランチのための店の品定めを始める。いつもの金龍ラーメンよりも今日は新しい店を(結局ラーメンじゃないか)と・・・そして中座の横にある空新町ラーメンに入る(薩摩ラーメンで結構有名ではあるが・・・)。
出されたおしぼりで顔を拭きすっきり・・・・と思いきや、なんなんだよ〜このおしぼりは!!カビだらけなんだよね・・・しかも縁まで・・・
せっかくの楽しみがこれで食欲減退である・・・。
外に出ると、「ミナミの帝王」に出てくる、沢木はんやヒロセはんのようなおっさんがぞろぞろ歩いている。その脇を気の弱そうな気の弱そうなオッサンがこわきににブリーフケースを抱えて走り回っている図。やっぱり映画とおんなじだよ、ミナミは。
カビだらけのおしぼりを出されても気にしないでラーメンを食べている人たち・・・
やっぱりミナミは、ディープ大阪、な街である。

9月11日
1年前、今と同じようにオフィスで夜遅くまで仕事をしていた。
電話が入る。相手はT女史だ。
またスタッフにちゃんとメシ食わせてるね・・などという内容かと思いつつだらだらと受話器をとる。
「テレビ見てる?!」あのね〜オフィスにはテレビを置いてないでしょ。
「飛行機にビルがぶつかって・・・」「ん?」
「・・びるにひこうきがぶつかって・・・わあわあ・・・」とか何とか言っている。
なんなんだよ、それわ〜。
よく聞いてみると、アメリカでどこかのビルに飛行機がぶつかったらしいとのこと。
電話をひとまず置いて、一呼吸おいてインターネットを開く。
NYの貿易センタービルに旅客機がぶつかったと出ている。更に情報を追いかけてみれば、もう一台がぶつかったとあり、テロ事件だというのがそこでやっと理解できた。
ひょっとしたら戦争になるのでは、一瞬考えたのがそれである。
黙々と仕事をこなしているスタッフに動揺を与えてはならないと機転をきかせて一人こっそりオフィスを出る・・・(そういうことは、しません、そういう気持には確かになりましたけどね)。
こういう時、例えそれが外国のことであったとしても決して対岸の火事としては見ることが出来なくなってしまうその理由はなんだったんだろう。
そのことに対して今の日本の経済も悪化し、ひいては仕事に影響することを考えたのだろうか。
そうじゃない。
その事件を通して、亡くなられた人たちのその瞬間の気持を以前体験した地震に置き換えたから?そうでもない・・・
その時のその一瞬の僕の複雑な気持ちはいまだもって表現できないではいるのだが、もう1年も経ってしまった。
おそらく今頃の時間帯はその追悼番組ばかりをやっているんだろうが、敢えてそれを見る気持にはなれない。

今はその事件に巻き込まれた人たちに合掌するばかりである。

9月10日
「宇多田ヒカルよりも倉木まいのほうがいいよね〜・・・おっと!」
CDショップのポスターに見とれていて思わず車にひかれそうになる。
広島駅前でのことだ。
今日は朝一から広島へ出張し、昼前に仕事が終わったので駅前でお好み焼きを食べたあとのことである。
駅の2階にあるお好み焼き「麗ちゃん」ここは非常に美味い。
この間出張したときもここで食べたのであるが、とにかく客が多く今日は思わず並んでしまった。
仕事の後、こうやって美味しいところを見つけるのはもう楽しみのひとつになっている。辛口のソースをかけて食べると尚いっそう美味しい。
並んで食べていたカオナシ君は無言でもぐもぐやっていたので美味しかったに違いない。
その証拠に後で顔を洗っていたので・・・猫じゃあないか。
ダイアリーでよく食べ物の話を書いているが、いつもどんなに美味しかったか、文章力が稚拙なもので美味く表現できていないことが多かったので今日は写真を貼り付けることにしますね。
これです!!
あ、横に見えるのはこのお店特別の麦茶ですのでね、決して生ビールではありませんので・・・・。
宇多田ヒカル、倉木まい・・・
ま、歌がどうのこうのというよりは似た感じの中でどちらがいいかという、単にそういう食後の話題にすぎなくって、それが今日のうらじゅんの伏線ではないのですよ。
従って今日も落ちはありません。

9月9日
夏の終わりは、蝉の声が聞こえなくなっているのに気がついた時と、それに雲の流れが速く感じるときである。
毎年こういう生活を送っているのでそういうところでしか季節の流れを感じることが出来なくなってしまっている。
もうひとつあった。
その体感気温にあわせて飲むアルコールの種類である。
夏場はビール、でしょうねやっぱり。冬場は鍋物に日本酒、うんうんこれもいいな〜。秋は・・・スコッチウィスキ―かワイン、かな。
じゃあ、春はなんだろう・・・春先はそういう意味では中途半端な気もする・・・。
と書いてはいるのだが、結局はそういうものを味わう時間もなく仕事に流されちゃうんだろうな、きっと。
たまにはゆっくりと風情を感じる時間が欲しくなるような夏の終わりの一日でもある。

9月5日
「一貫楼」で買ってきた夜食用の豚マンを夜中に食べようとした。
サランラップが見当たらない・・・・今頃電話をかけて「あの〜、サランラップどこにあるんだっけ・・・」とも聞けるわけがなく、そのままレンジにかけてしまう。
男の一人暮らしを象徴するよな光景でもある。
今度は醤油、がない。冷蔵庫を開け、食器棚を上から下まで探し回るが・・・ない。
こんなものである、夜中の男所帯は。
カオナシ君は平気でもぐもぐやっている。
今はともかく、少し前までは設計事務所といえば、もう男ばかりの殺風景な職場と決まっていた。
泊り込みが続くと洗面所でパンツを洗い平気でオフィス内につるしているところも・・・それはめったにないか。そういうところも昔はあった。
昨年の今頃も非常に忙しく、スッタフは寝袋を持参して泊り込んでいたことがあった。
カオナシ君は元町に住んでいるのでシャワーを浴びにいったん自宅に帰るようにはしていたが、西宮から通っている西原君は帰れない。従ってシャワーを浴びるということはできないし、下着も底をつく。
毎日夕食に出るたびに、近くにある無印に飛び込んではパンツを買う、そういうライフスタイルが確立された。
最近は数日の泊り込みは減ってはいるのでそういう習慣はなくなったのだが、彼のデスクの引出しにはその頃の使い古された下着が数十枚しまいこまれているとのことだ。
もちろん誰もそれを見ようとはしないが。

男ばかりの夜中のオフィスは殺風景なものである。

9月4日
やっと書類を四国にFAXし終わった。時間は既に11時を過ぎている。
不思議なことに仕事が入るときは一気に入る。
とてもこなせる量ではなく、駄目押しに現場からも電話が入ってくる。
ヴィトンのショップでもこんなに夜中までは働いてはいない。
昼間は電話等々で忙しいので、落ち着いてじっくりと、っていうのがなかなか出来ない。
従って一瞬の集中に賭けることにしている。電話が入るのに気づきながら出るまでにその仕事を終わらせる。そして・・「はい、小川ですが〜〜」となるわけだ。
時には督促の電話と思いつつ頭を下げながら受話器に向って「いまやってるところなんですよ〜、すいません・・」「え?なんのことだっけ?」
言わなきゃあよかったなあと思うこともしばしばである。
うらじゅんを書いている今もスケジュール表を見ながら・・・お!!、明日までにこれもあったんだ〜〜・・・
というわけで、またこれからカンズメになっちゃいますので・・・・
カオナシ君からの質問にも答えておかないと・・・どれどれ?・・・・・
一日が短く感じる9月である。

9月3日
先週の土曜日にBSで「Tulip 心の旅・・」と称する番組が放映された。
デビューしてから30周年を記念するものであり、再結成をしたことから放映されたものであった。
リーダーである財津和夫氏がその頃の思い出を述べながら、現状までの経緯を淡々と語っていくというストーリーだったのだが、ついつい見入ってしまった。
僕がTulipと出会ったのは高校3年生の頃である。
中学時代に学校でギターデビューしていた僕にとってその音楽は強烈なものであった。
その頃はディープ・パープル、ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、エマーソン・レークアンドパーマー・・・というハードなものも聞いてはいたのだが、どちらかと言えば日本のフォークに類するメロディアスな曲の方に親しみを感じていた。
その頃のコードの組み合わせはたいていC若しくはGあたりからの循環コードに過ぎなく、簡単に演奏ができるものであったことも親しみを感じた理由だった。
ところがTulipの「魔法の黄色い靴」というのはDから始まりいきなり転調していく珍しい曲であり、なんと言っても彼の高い声に僕は惚れた、のである。
浪人時代、大学、そして社会人になるまでTulipはいつも僕の中でそのメロディーが流れていたものである。最後の方はメンバーがころころ替っていたので興味をもてなくなっていたのだが、それまでは5人編成でほとんど入れ替わりなく(少しはあった。本当はオリジナルメンバーでやって欲しかったのだが、いろいろ事情があるのだろう・・・)やっており、当時仕事に嫌気をさしていた頃は、こうやって楽しみながら人生を過ごす方法もあるんだな、とそう羨ましく感じた時期も僕にはあった。
財津氏の話を聞いていると、まあやっぱりいろいろと辛い時期はあり、それを乗り越えてここまで来たとのこと。
うん、うん、そうだろうな、楽しいだけじゃあ出来ないよね、そうだろ?、とソファの背もたれの上に寝転がっているココに話し掛けるが、彼女はまったく興味はないらしく大きなあくびをしながら丸まってしまった。

考えてみれば、今オフィスは6人編成で仕事をしている。
楽しいときもあるけれど、辛い時のほうが多い。ただ、それぞれが自分のパートを全うし、ひとつの作品(あんまり好きな言葉ではないが)を創り上げていく姿勢に於いては彼らと変わらない状況にきているとそう感じてもいる。
オフィスもバンドの合宿所と同じであり、悲喜こもごもで長いツァーに出ているようなものである。これから先少しはメンバーの入れ替わりもあるだろうが、僕としてはTulipのようにオフィスを持続させ、そして熟成していきたいと、そう考えている。

たま〜にソロアルバムを出すように、僕も独立してみようかな
その時の名前は・・・・
やっぱり、ウラ・ジュンアソシエイツ・・・・・

売れないかやっぱり。

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