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3月31日 I平が復帰した。 「僕は一番上の階に住んでるんですよ。それなのに上で何かがバタバタ暴れているような音がきこえるんですよ〜。それに、玄関の扉に誰かがぶつかってくるような音はするし、コンポは急に点いたりして、大変でしたよ〜。」 「気のせいじゃないの?」 少しやつれた感があったので、ドライブがてら西宮にある現場まで天気がいいので連れ出した。帰ってきたときは顔色が少しよくなっていたのでもう心配はないだろうと思った。 明日から4月1日。 気持ちを切り替えて頑張っていこうと思う。 一人になったオフィスの中、嫌なラップ音などは一切聞きたくないので、ヘッドフォンをしチープ・トリックの「今夜は帰さない」を聞きながら仕事をする。 だって、上で誰かが騒いでるような音してたらこわいでしょうが・・・。 3月30日 午前中、打ち合わせをしている途中でふと嫌な気持ちになった。 「I平からはまだ連絡はないよね。ちょっと連絡とってくれる?」 別のスタッフに言ってかけてもらう。 打ち合わせをしている途中で、 「電話替わってくれって言ってますが・・」 「・・・昨日から体が震えて・・・熱が9度もあるんですよ・・・」 T女子の顔色が変わる・・そして、打ち合わせ相手である税理士のM女史の顔色も変わった。二人とも同じことを考えていたらしい。 昨日書いたように、例の光の輪である。打ち合わせの始まりはそこからだったのだが、M女史もそういう方面の勘が非常に強い。 土曜日その場所へ行ったときに、少し時間があったことから、そこで街づくりを行っている「まちなか倶楽部」というところを大学の先生に紹介していただいた。 そこでいただいたパンフレット「史跡の紹介とまちづくりの歩み」の中に、 「■ 平経俊乃墳 」とあり次の文書に続いている。 「由来 若狭守経俊は、平清盛の甥で一の谷の合戦に華と散った平敦盛の兄である。湊川の合戦で、鵯越の守備についていたが戦利あらず、長田の森を経て、西出の浜へと落ち延びてきた所を源範頼の郎党、名和太郎に追いせまられ、勇ましくも組打ちとなり当地で落命した。・・・」 と書かれていた。 いろいろなものがある、とT女史が言っていたのが実はこれだったのだ。 M女史もパソコンに入っている写真を見て、 「ここにもありますね・・ここも、ほら、これね・・」 僕にはまったく見えていない、そういうところのもの、を二人は確実に見ているのだ。 撮ってきた写真はとにかくすべて削除した。 「戦場でもあったわけだからいろいろあるわけよ。そんなところで写真を撮ったら、やっぱりでてくるでしょ、怒ってね。」 学生のM君に電話をかけて一刻も早くお参りをするように伝えたことは言うまでもない。 3月29日 「これはちょっとまずいでしょ・・・・」 土曜日、神戸駅周辺の古民家の写真をT女史に見せた途端に彼女はそう言った。 「なにがまずいの?確かに写し手が悪いから、僕の身体が端っこでまっぷたつになってるけどね・・・な、Y田君!」 「それじゃあなくって、この部分がね・・・」 彼女が指差したその先には、写真の中の丸い反射した光の輪のようなものがあった。 「これは光が反射したものなんじゃないの?」 「ううん、光の反射したものならばこうはならない。これは改装に入る前に何かお払いとか、例えば、お酒を祭るとか、塩をまいたりとかしてないんじゃないの?」 学生に電話をしてみると、していなかった。 「何か事故が起こってからじゃあまずいからそのへん気をつけてよ。くわばらくわばら桑原和夫・・・」 気になったので学生には電話をするときに、お酒を祭って中に塩をまくようには伝えた。 オフィス内を見ればT女史は自分のデスクの前で、まるで元関取の水戸泉が手にいっぱいの塩を大きな円を描いてまくような、そういう仕草で塩をまいていた。 「塩水飲んでおいたほうがいいよ。」 先ほど、つまりそういう話を聞いてから少し熱っぽく感じていたので、気のせいかとは思ったのだが、水に塩を混ぜて飲んだ。ただ、そうすることによって重かった身体も少しばかり軽くなったような気はする。 決してそういう類の場所ではないにしても、古くから家があるような場所には何かといろいろあるそうで、そのあたりのことについてはT女史は口を閉ざしていた。 3月27日 バリッ!という音と共に足の裏に少しばかり変な感触が伝わった。 「あ、そこ昔の動物の糞がいろいろありますから踏まないようにしてくださいね。」 「もう踏んじゃったよ・・気持ちわるいよ〜〜・・早く言ってよね〜」 JR神戸駅から西へ歩くこと10分程度。ハーバーランドから少し外れておりあまりひと気のない通に「稲荷市場」というところがある。 締まっている店もあり、こういう場所も次第に人が減ってきているのがよくわかる。 この市場の中に古い民家があり、そこを改装して住みこみ、安い家賃の代わりに地域の人たちと協力し合い、そしてその町を活性化していくという趣旨を持った、神戸芸術工科大学の先生と学生とそこで仕事をすることになった。 僕の役回りは、改装に際して構造的にどうすれば補強できるか、このままで大丈夫ならばそれでいいが、この壁をとってもいいのかどうか・・等々そういう疑問に対して明快な回答を出すことにあった。 おおよその補強計画を伝え、そしてもう一件の住宅の2階に上がり、バルコニーに出ようとした際に、バリッ・・・である。 うえ〜〜、きもちわるいよ〜〜〜、今の今まで明快な答えをきっちりと出していた冷静な男が、バリッとなっただけでこういう風に変身してしまった。 ま、仕方があるまい、このことはここにいる人間だけの秘密にしてもらえば・・と思いながらふと横を見るとビデオを撮っている学生がいた。 こういうところは編集の際に是非カットしてもらいたい・・・お願いだからカットしておいてください。 こういう趣旨を持った人たちには是非協力していきたいと思っているし、今後が楽しみでもある。 3月24日 設計室の扉を開くと、ひんやりした空気が僕の身体を包み込んだ。 「煙草持って来てくれた?」 「悪いけど、僕は煙草やめたんですよ。」 「そうか・・・残念・・・」 もちろんこの部屋には誰もいないし、電気をつける前の一瞬のことである。 1年前の今日、この仕事を始めてからのお付き合いしてもらっていたパートナーのゴローさんが亡くなった。 今日はその1周忌で、東大阪にある彼の家を訪ねた。 写真の中の久しぶりの彼の顔は僕を温かく迎えてくれているように思えた。 花を供えて、ワインを差し出すと、 「洒落てるな・・・」なんて言っているようにも思えた。 まあ、こういうときは良いほうに解釈をするべきだというのが僕の考えだからこういう風に聞こえたに過ぎない。 奥さんの話によると、生前は食に関してかなりこだわりがあったということだった。 牛乳といえば明治、それ以外は決して飲まない。野菜は食べずに肉を主として食べる。 嫌いなものには決して手をつけずに、文句は言わないが機嫌が悪くなる・・・・ まるで、ちゃぶ台をひっくり返しはしないが頑固なおとなしめの「星一徹」のような男だったと、家庭でのゴローちゃんを想像してしまった。 奥さんの料理は僕も何度かご馳走になったことがあるのだが、腕前はそれこそプロ級だと思えるほどのものである。それなのにゴローちゃんときたら・・・・ まあ、そういう我侭で勝手なところもなぜか憎めない人ではあった。 帰る前にふと写真を見ると、 「ありがとう、また来てくれよ」 と笑顔で言ってもらったような気がした。 3月23日 診察台で大きく口をこじ開けられ、鋭い音の出る機械で歯を削られる。 削られるのはいいが、たまたま先生の肘が僕の鼻を押し付けているので息ができない。 口で息をしようとすると機械が動いていると同時にそこから発生する水が喉を直撃する。 「動かないでね」 「・・・・・」 午後6時に治療が終わった後、しばらく何をする気にもならなかった。 だがもう歯の治療も終わりに近づき、また風邪もすっかりとよくなった。 3月はいろいろあったが、今までの疲労をすべて出し、自分の体をメンテナンスしたと考えれば4月からはまた張り切って頑張ることができると、そう考えている。 無駄に苦しい思いをしたわけじゃあないと、歯医者の帰りにそう思った。 あとは、喉が少しいがらっぽく、咳が少し出るのと目の辺りが時々かゆくなるくらいだ・・・ これってひょっとして花粉症の始まり? 3月22日 学生の頃、土曜日の夜は7時30分から始まるロート製薬提供の「クイズダービー」を見、その後8時からは「8時だよ、全員集合!」を、デートの約束がない限り見ていた。 僕が住んでいたのは東京の中野区というところで、西武新宿線沿線にその下宿はあった。 医学部に行くつもりがいつの間にか工学部にもぐりこみ、もぐりこんだのはいいけれど大学にはトンと姿を見せたことのない遊び人のUは僕の下宿の近くにその実家があった。 裕福な家庭で育った割にはひねくれていた彼は、どういうわけか決まって土曜の夜、僕の部屋を訪れることが多く、ノックもしないでいきなり入ってくることが彼のルールであった。 「もう、そろそろ始まると思ってね。土曜の夜はこれ見なくっちゃね〜」 すぐそばに自分の家があり、大きなモニターでゆっくりとテレビを見ることができるのに、僕の下宿の狭い部屋のいい場所を確保しながらシロクロのテレビでドリフターズを見ていた。 番組が終わると、 「さてとおがわちゃん、そろそろかえって寝るね。」 部屋に置いてある雑誌や漫画、ウィスキーや食べ物などをごっそりと袋に入れて彼は去って行った・・・ いかりや長介、ドリフターズ、といえばその時代の記憶がまるで昨日のように蘇ってくる、そういうキーワードでもあった。 いかりや氏が亡くなったことで、その時代が少しばかり遠くなったような気がした。 3月21日 NZ(ニュージーランド)の南島にダニーデンという小さな街がある。 ここから空港のあるクライストチャーチという街まで車で約5時間。 高校生の弟が春休みを利用してやってくるというので、兄は700NZドル(約5万円程度)で購入したカローラバンで夜中にクライストチャーチへ向かおうと予定していたのだがブレーキがあまいことに気がついて急遽レンタカーを借りることにし、車に乗り込んだ。 翌日(3月20日)の朝、空港で長旅に疲れた表情の、か細いが懐かしい顔に出会う。 「どうだった飛行機の旅は?」 「まあまあだね」 「オヤジたちは何か言ってたかい?」 弟はうんざりした顔をしながら、 「オヤジはいつもどおりだよ。税関で目的は?って聞かれたときに、緊張して 『フィッシュ、オウンリー』 なんて言っちゃダメだよ、なんて言ってたよ。」 「相変わらずだな〜、成長してないね。」 「まったく」 ・・・・・・・ なんてことを、二人の息子たちは話しているんだろうなと、僕は窓から見える夜明けの山並みを見ながら彼らのことを考えていた。 え?なぜそんな時間に起きてるのかだって? だって土曜日も病院は休みで相変わらずの痒みで寝られなかったのですよ、ハイ。 3月19日 煙草をやめたのは約1年ほど前になる。 やめたと同時期に夜になると身体が痒くなり、最初は虫に刺されたのかと思っていたのだが、なかなか治らない。 よく通っていた内科に行って血液検査までして調べてもらったけれど、結果は不明。 原因がわかったのが半年以上経ってからであった。 皮膚科で調べてもらった結果、田中康夫似の先生に 「これはぜ〜〜ったいに、ストレス性の蕁麻疹(じんましん)だも〜んね。」 と言われた。 それから半年後の今、発生する数は減ってきており、ましてやビタミンBを毎日飲み続けていたことも功を奏し、これでやっと憂鬱な病気から開放されるかなと思った途端に、風邪にやられて抵抗力が低下してしまった。 薬が切れた昨日の夜はなかなか寝付けなく、寝不足で和歌山へ朝早くから車を飛ばす。 もちろん車の中でも痒みは襲ってくるので、痒いところを掻きながらのハンドルさばきになる。 あ〜早く仕事を終えて、田中康夫から例のクスリをもらいたい・・まるで中毒患者のような気持ちになり、和歌山からあたふたと帰り、午後の診療が始まる午後3時30分前にはその病院へたどり着けるようにオフィスを出た。 「臨時休診」 病院の扉の前にはそういう紙が貼ってあった。 3月17日 これだけ忙しく仕事をしている場合、ヴァカンスをいつ取るのか、または取れるのか、今まではそういうことをまったく気にはしていなかった。 できれば、人が忙しく働いている時期にこれ見よがしにヴァカンスを取る、これが理想だったのだが、今はそこまで執着はしていない。 時間を確保するのもさることながら、金銭的な余裕も精神的には必要となってくる。 このどちらが欠如しても「ヴァカンス」を取るのは僕にとっては難しいものとなってくる。 「今週の土曜からNZ行ってくるね。」夕食時に次男がそう言った。 「阪神電車で行けば早いんじゃない?」冗談だと思って軽くかわそうとした。 「にゅうじぃ〜らんど、なんだけど・・・」 「ギターを買おうと思って貯めてたお金があるんだけど、買うのをやめて春休みだしちょっと行ってくるよ。」 一瞬一緒に行くことを考えたのだが、自分の現状を極力現実的に考えた結果、ため息とと もに見送ることにした。 行きたいところは星の数ほどあるのだが、なかなか現実にはならない。 現実にする際に一番大きな要素は何かというと、そう、僕の割り切りだけです。 オフィスの中で、僕がいなくてもスムーズに仕事が流れ、現状のように月末に金銭的な心 配をしなくってもいいようになったとき、堂々とヴァカンスに行ってこようと考えている。 当分無理か。 3月16日 オフィスでマスクをしながら仕事をすることに慣れてしまった。 慣れると今度はそれを外すことに対して不精になってしまい、食事のときも、お〜〜っといけねぇ・・と思わずそのままで食べようとしてしまう。 マスクを装着する場合、そのままではなく外からの花粉等を更にガードをするためにガーゼが仕込まれている。 僕の場合、このガーゼが顎にたくわえている髭に絡まり、というよりはまさにマジックテープのようにガーゼが髭にぴったりとかみ合ったかのような状態になり、マスクをつけたまま話をしていると自然に下方へ中身のガーゼが引き出されてくるのだ。 自分ではわからないのだが傍から見ていると、ちょっと怪しいというよりはなんだか情けない状態になっているようなので、最近はそのはみ出しがないように気を使いながら装着している。 マスクの下から三角形状になったガーゼが次第に下へ降りてくる図。 I平はそういうものだと思っていたらしいのだが、通常はやはり恥ずかしい。 ようやく風邪も治ってきたので明日からはマスクなしの顔をスタッフの皆様に見せることができると思う・・・見たくないってか? 3月15日 「小川さん、もう退院されたんですかぁ?」 そういう電話が取引先から入っていたらしい。 風邪をひいて2日ばかり休んだだけで回りまわってそういう話になっていた。 もう一日休んだとしたら、もう面会謝絶ってことになっているのかもしれない。 情報は早いほうがいいが、後に尾ひれ背びれ、尻尾までくっついてきちゃってどれが正確なものなのかわからなく恐れがある、ということを実感してしまった。 オフィス内ではマスクをしてるけれど、現場復帰しておりますので、ええ。 高橋尚子がオリンピックの選考から外された。 理屈からいえば一番すっきりとした選択だったとは思うが、心情からいえば代表になってもらいたかった気はする。スター性という意味でね。 ただ、代表の選択のしかたが相変わらずもやもやしていてすっきりしない。 メダルが取れそうな人物、なる選択のしかたは誰がどうやって決定するのか、そのあたりがはなはだ疑問であり、いつまで経っても陸連というところは学習していない気がする。 誰が外されてもすっきりはしないし、相当のストレスが陸連に向けられることは確かだ。 何も陸上に限ってではなく、例えば相撲の世界でも、横綱にふさわしい人物・・・これも誰がそれを判断するのかってところに疑問は残るし、ストレスも溜まっちゃうわけでもある。 それを考えると総理大臣だって・・・あ、いやいや、もうそういうところについて書くのはやめましょう。そういう曖昧さがあるのが今の日本だからね。 閑話休題 できる限り規則正しい生活を行った週末。 日が沈むとともに就寝をし、夜明けとともに起きだして生活を始める・・とまではいかないにしても体調を元に戻すべくできるだけ頑張った。 それなのにこの月曜の忙しさのせいでまた熱っぽくなってきてしまった。 夜の電話はしばらく風邪ということで出ないことにしますので、K社の皆様宜しくね。 3月12日 水曜日、歯医者へ行った帰りから調子が悪くなった。で、そのまま寝たっきりになりオフィスに出社してきたのが今日。 まるまる2日間自宅で寝込んでしまった。 会社を起こしてから考えてみれば休んだことが無く、個人でやっていた約1年ほどの時期も地震後1日だけ仕事を休んだことはあったが、それ以外に休んだ記憶があまり無い。 地震後、のときは毎日午前3時頃まで仕事をやっていたので、休んだときはそれこそ世の中から取り残されていくような追い詰められた気持ちになったものだが、そのときから比べれば今回はまあ少しばかり休養をするか、というような割合楽な気持ちではあった。 でも身体はきつかった・・・。 今日も朝一の仕事は、まず薬局へ行き「VICS」と「のどぬ〜るスプレー」そして 「ピップガードマックス」という高性能なマスクを買い込むところから始まった。 スタッフにはうつせないので、こうやって周りから自分自身を隔離しておかないといつの間にか一人になってしまうような気がしたからだ。 一番エネルギーを使ったのが電話だ。 いつもならなんともないのだが、こうやって病人になってしまって初めてわかること、 声だ。 自分の声も商売道具の一つだと思っているので、こういう風に喉を痛めてガラガラになったときなどは相手に気を使って結構エネルギーを消費する。 そういうわけで、今日はとりあえず一段落したので電話については風邪がこじれちゃった、ということにしてもらって取次ぎしないで家に帰ることに決めた。たまにはこういうこともね。 週末「うらじゅん」は、だからお休みいたします。 3月9日 京都の養鶏業者の会長が自殺、というニュースが昨日流れた。 特に同情をするつもりはないのだが、前にも書いたように、そういう特殊な事情が発生した場合は、まず政府がすばやく対応する、ということがぜ〜〜ったいに必要だと思う。 何か事が起こってから、じゃあまあ何かしないとね〜、なんて感じで総理大臣だとか、官房長官や担当大臣が出てくるわけだが、いつものことながらそういう対応だからこそ危機管理能力が無い、といわれているのだ。 そういうことにまだ気がつかないの?なんて考えるわけなんだけど、これは毎度そういうことなのでもう半分諦めちゃったもんね、わたしは。 国の保障が必ずある、とすればこういう事態は防げたんじゃないのか、といつも何かあったときはそう思ってしまう。 人の経歴のあら捜しなどは徹底的にやるくせに、世の一大事、っていうときは誰も出てこないこの国の将来は無いと思う。 一番の被害者は、鶏だよね。 廃棄処分とか焼却して処分等々の表現をしているが、もう少し生き物に対しての敬意を払わなければならないんじゃないか、と思う。 自然に対する感謝やそういった敬意というものが無ければ、どこかで歯車が狂ってしまうような気はする。 3月8日 「ゲホッ!!」 「花粉症かな?」 「いえ、風邪です。」 ゾクゾク感の上に、熱っぽくもなってきた。 3月7日 見る見るうちに雪がすべてのものを白くしていく。 昨日に引き続きの吹雪である。 山側にある自宅マンションから外を見ると、海のほうは晴れているのに、こちらはもう真っ白になっていくのがわかる。 そういうときに限って、昼から高校の同窓会の打ち合わせがあり外出をする。 ゾクゾク感はまだおさまらない。 帰るときも吹雪が吹きまくっている。 このまま積もったとしても、我が家のモモやココは知らん顔してホットカーペットの上で丸くなっているだろうと思われるし、きっと一番はしゃいでるのは、僕だけなんだろうなと考えながら車のハンドルを握った。 3月6日 「ゲホッ!」 「風邪かい?」 「いえ、花粉症です・・でも風邪かも・・」 Y女史が週末にそう言っていた。 おかげで土曜日はなんとなくゾクゾクして熱っぽく、結局「ロード・オブ・ザ・リング」は見に行かなかった。 その代わりにDVDで「閉ざされた森」を見た。 ジョン・トラボルタが相変わらずのいい演技で、更にはストーリーも最後は洒落っ気のある終わり方でなかなかいい作品だった。 ゾクゾク感がおさまらないので、一日中自閉症のように家に閉じこもっていた土曜日、である。 3月5日 カオナシ君ことF君が今日を持って退職することになった。 理由は体調を崩してしばらく実家で静養する、ということが主ではある。 彼がオフィスに来てから4年が経つ。 あっという間に月日が経ったような気がしたのだが、その間かなり無理をしていたようで、その彼の責任感の強さには頭が下がる思いがした。 ただ、相変わらずミーハーなところはまだ治らない。 仕事に関する書類はポンポン捨てていたのだが、「松浦亜弥」に関する資料はバッグに詰め込んで帰って行った。 F君、お疲れ様でした。新たな気持ちで頑張ってください。 高知の大学から2週間、オープンデスクに来てもらっていたYさんも今日で終了。 彼女にはずっと模型を作ってもらっていたのだが、その集中力はすごいものがある。 一生懸命に作っている横で、挨拶に来ていたカオナシ君がちょっかいを出していた。 バルコニーの手摺を慎重に取り付けている脇で、 「広末涼子って高知出身なんですよね〜、知ってましたぁ?」 取り付けようとしている手摺につい力が入り、こめかみに血管が浮き出る・・・。 そういう状況を読めないのは彼の得意とするところでもあるんだろうが、懲りない男だ。 そういう状況で、Yさんも晴れてオープンデスクを卒業し、オフィスを後にした。 Yさんも就職活動頑張ってください。 週末までに珍しく仕事が片付いてしまったので、明日は久しぶりに休みを取ろうと思っている。 昼間はビールで蕎麦を、そして夜は六甲アイランドへ「ロード・オブ・ザ・リング」を見に行こうと考えている。 3月4日 春の訪れが少し遠くなるような気がするほど今日は、寒い。 寒いけれど、そろそろ花粉症の人が出始めたわけであるから、春はやっぱり近いものだと感じさせる。 根っからの花粉症であるY女史は、この時期は苦しそうな様子でもある。 花粉症用グッズであるマスクやゴーグルを装着すればいいとは思うのだが、彼女はそれを着けて街を歩くのを嫌がる。 毛糸の帽子にゴーグルにマスクにマフラー・・・大男がそういういでたちであれば確かに人は近寄らないだろうし、銀行に入ろうものならすぐに警備員が飛んでくるだろうと予想される。 女性の場合はまだましではないかと思うのだが、やはりダメらしい。苦しくても我慢をする方を選んでいる。 局部的に重装備を施すから目立ってしまう、という理屈から考えれば逆にすべてをグッズでまとめてしまえばどうか。 例えば、花粉対策用の「着グルミ」というものがあれば全身をそれで包んでしまうわけだから万全じゃないかと、僕は思う。 例えば、パンダのような着ぐるみだと可愛くていいじゃないか、とも思えるのだが、新鮮な空気をどこから取り入れるかが問題だということに書いていて気がついた。 目の部分を大きな空気取入れ口にすればいいのだが、そこから花粉が侵入してくればもともこも無いわけだ。 じゃあ、そのパンダの顔の部分にゴーグルを着ける・・ やっぱり単にゴーグルを装着して、マスクを着ける方がいいか。 気胸の手術をして戻ってきたI平には、今度は花粉症に対する問題が出てきた。 でかいくしゃみをする彼にとって、また肺に穴が開く確率は高くなってくるわけだから、身体を守るためにぜひパンダの着グルミを着て街を歩いてもらいたい。 3月3日 鶏肉も卵もダメ。ランチに何を食べるか悩んでしまう。 総力を挙げてインフルエンザが拡大するのを阻止・・・という国の体制ならば、まだ我慢しようという気になるが、テレビで流れてくる映像は、ああいう調子でしょ? 信用できないもんね、ぜんぜん。 「とくダネ」でも、どこかの偉いオッサンが出てきて 「卵は正常な鶏からしか生まれてこないのでぜ〜〜ったいに大丈夫です。」とか 「70度以上で熱してから調理すれば大丈夫です、ぜったい!」 などと言われても、ハイハイそうですか、それでは食べましょう〜、なんてことにはならないでしょ? そういうことよりも、今インフルエンザにかかってる人にその鶏インフルエンザが入り込んで変形した形のウィルスが外にほおり出されたら、これってワクチンがまったく無いわけだからどんどん病院に担ぎ込まれる人が増えちゃうんじゃないのかな。 そういう問題に触れないで流してしまっているのはワイドショーだから仕方がないにしても、国を挙げて阻止しようとしないこの国に対してものすごく不安を感じる。 「モゥ〜ケッコウ〜〜」と記者会見の最後にそう締めくくったお馬鹿な大臣の姿を見て、 「あちゃ〜〜」とテレビの取材に対して堂々とそんなお馬鹿なことを言ってしまった2代目養鶏業の社長を見て、ほとほと情けなく感じたとともに、やっぱり自分のことは自分で何とかしていかなければ誰も助けてくれない世の中だということを、改めて感じさせてくれたランチの時間、であった。 ※ ちなみに今日のランチは、「コム・シノア」の、ハム&チーズトーストと、レーズンパン、そして「たかなし」の4%牛乳を選んだ。 3月2日 午後11時を過ぎた頃、上の階(つまりこのオフィスは5階なので6階)では急にあわただしくなる場合が多いような気がする。 いきなりバタバタバタと足音がし、荷物をドスンと床に落とすような音がこの階に響き渡る。 ひどい時は午前1時くらいにそういう音がするときもある。 夜中に何もそんなに大騒ぎする必要があるのか、昼間そういう荷物の出し入れなどはやっておけばいいじゃない、本当に迷惑なんだから、と仕事をしながらそう思っていた。 「それってラップ現象じゃないの?」 昼食時にT女子がそう言った。 「どういう会社か見てきたら?私だったら大声で注意してあげるんだけど、夜中じゃあね」 「まあ、見てくるのは簡単なんだけど・・もし開いた部屋だったらどうすんだよ?」 「だからぁ、見てくればいいじゃない」 「・・・・Y田君、夜飯食いに行った帰りにでも見て来てくれない?」 「僕がですかぁ?」 「そうだよ、ついでにちょっと見て誰かいたら注意してきてよ。」 「自分で行ったら?まさか、怖いんじゃないでしょうね」 「ば、ば、ばかなことを・・あの音はきっと要領の悪いおっさんが夜中になって慌てふためいて走り回ってるんだって、きっとね・・・」 「じゃあ、行けばいいじゃん」 午後11時を少し回ったところで、今のところは音はしていない。 頼りのY田君は珍しく早く、しかもそそくさと帰ってしまった。 午後10時になるとまるでチャイムのごとく毎日ロッカーあたりがガタガタ鳴り出す。 まあ、これはエアコンが切れるであろうところ影響でそういう音がするものだと割り切ってはいる。 それに加えて今度は午後11時過ぎのバタバタ音・・・ にぎやかなビルではあるが、僕は仕事に集中するために耳にヘッドフォンをつけた。 3月1日 危機管理が無いというのか、他人事のような政治家のコメントはむしろテレビで扱わないほうがいいんじゃないかって、昨日の「サンデー・ジャポン」を見ながらそう思った。 京都での鶏インフルエンザについてのことだ。 その会社の会長、社長の言ってることも責任をまったく感じていない雪印と同じような低レベルに思えたが、それに対するコメントをデリカシーのなさそうな語り口調でしゃべっていた某国会議員は、 「そういう病気が出たら周りから恨まれるんですよ」 なぜ解っていたのに隠していたのか、ということに対するコメントがこれだ。 ・ ・・だから早く言わなかったのはしょうがあんめぇ・・・・とでも言いたかったのか。 「どうして早く対応しなかったのか。損害はすべて国で補償してやる・・」 とかなんとか言うのであればまだわかる。いくらなんでもこういうコメントっていかがなもんでしょうかね? ただこういうときの国の対応というのはいつまでたっても不明瞭であり、結局はうやむやの人任せになってしまうのが、常ではないのだろうか?そう思うんだけどね。 昨日の夜、鍋物の具に鶏が出されていないことに気が付いて、いい出汁が出ないじゃないか〜っと思った瞬間にその国会議員の他人事のような表情を思い出した。 その程度かよ? |