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3月23日
建築家の丹下健三氏が亡くなった。
建築家の学生になった頃は、「タンゲ」と聞くと、「明日のジョー」に出てくる「丹下段平」をすぐに想像してしまっていたのだが、いつのまにかケンゾウ氏の方へ移行していた。
彼のようにいろんな作品を創造していきたい、という心境ではなく、いろいろと落とした単位を取得するためにやむなく勉強しているうちにその功績を理解していった、と、僕の場合はそうだった。

「教科書はこれでいいずら?」
紺の柔らかそうな生地のスーツを着た、マッシュルームカットの、いやどちらかといえばそれに似たようなオカッパ頭をしたA野が僕の方を振り返ってそう言った。
大学に入学したての僕にとっては、どの教科を選べばいいのかさえわからずに思案していたわけだが、その時に、オリエンテーリングで少し会話を交わした彼と教科書売り場で一緒になり、教科書をいろいろ手に取っていた彼が突然山梨弁でそう言った。
「おれはよ〜、将来は歌って踊れる建築家を目指すずらよ。才能はお前らよりはずっとあるからよ〜」
まあ確かに建築に取り組む姿勢は、ドロップアウト寸前の僕よりはあったと思う。
「くろかわきしょーのところでよ〜、バイトやったんだけどさ、やつは確かにすごい!」
酒が好きで、酒を飲むとすぐに建築の話を始めるのがA野の癖だった。
東京という都会で洗練された男、それが彼が自分の中で描いていた自分であったのかもしれないが、傍から見れば「トッポい男」だった。
「建築は奥が深いぜ〜、お前はどうしてそんなに勉強しないんだよ〜。何年やってんだよ、ったくよ〜」
「ほっといてくれ。この時期はいろいろ考えることがあるんだって。」
本当に建築学科をやめようと思っていたとき、彼は僕の傍で酒を飲みながらいつでもそんな風に説教を垂れていた。
で、彼は僕よりも先にとんとん拍子に卒業し、「歌って踊れる建築家」になったかといえば そうではなく、6年目までドイツ語を落とし、隣に座った僕の答案を見ながら何とか合格をし、僕と同年に卒業をし、住宅メーカーにやっと就職が決まったわけだ。
大阪で就職が決まった僕を東京駅のホームで見送ってくれた彼は、
「人生至るところにセイザン有、だ。東京での俺の活躍を地方で見てるのもいいズラかもよ」
最後まで山梨弁を大切にしたA野。15年程前、軽井沢で一緒にギターを弾きながら酒を飲んで以来彼とは会っていない。

「丹下健三氏」という名前を新聞で見た瞬間に、なぜか山梨弁を思い出してしまった。

3月14日
「あ、タンドクですね、それ」
診察室に入った途端に田中康夫似の皮膚科の先生がそう言った。
木曜の夜中に目の上辺りが痛み出し、金曜の朝洗面所で鏡を見ると、目の上が腫れあがっていた。
腫れあがった目のままで朝一から東大阪で打合せを行い、それが終わると淀屋橋にある大阪市役所へ。オフィスに戻ってから社内で打合せをし、時計を見れば既に病院は閉まっている時間帯であった。
その間ずっと目の上がズキズキ痛んでおり、何か悪い病気になったのではないか、ひょっとしたらすぐに手術を行い、目の周りの全てを切り取られるのではないか・・・どんどん悪い方向へ考えてしまう。

翌朝病院に飛び込んだところ、僕の顔を見た途端に彼はそう言った。
「丹毒」という、菌が弱いところに入り込み炎症を起こす病気である、らしい。
先生は嬉しそうに、いろいろ説明をしてくれるのだが、まあさほどたいそうなものでもないらしいという事だけはわかった。
「かなり疲れてないですか?抵抗力がないとでる場合が多いんだよね・・」
「先生、ストレスの塊の上に寝不足という状態なんですけど・・・」
「あ、そりゃあダメ」
というわけで、あまり無理はしないように体調を整えるようにとのことだった。

土曜日、日曜日とオフィスで仕事を行い、そして今日もいつものごとく夜中まで仕事をしている。両目が腫れあがっちゃうと、それこそ仕事にならないので、今日はこのあたりで・・・時計の針は午前2時を回ったところだ。

3月7日
やっと浮上してきたような気がする。
2月の半ばから、うらじゅんを書く余裕もないくらいに毎日締め切りに追われていた。
もう督促督促の毎日だった。
「え〜〜、そんなに忙しいいんですかぁ?それはいいじゃあないですかぁ」
そういう風にいわれると、確かに仕事が無い毎日を過ごすよりはいいだろうが、限度がある。
構造設計の一手法で「限界耐力設計」というものがある。現行耐震設計を更にややこしくした、できればそこには足を踏み入れたくないような、まあそういったマニアックな計算手法である。
それでなくても忙しいところへ、
「小川さんのところでは限界耐力の設計はやってないんですか?」
というような電話がかかってくる。
「I平さあ、限界耐力の設計やってみるか?」
「もう限界体力まできてるんですけどぉぉ・・・」

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