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4月30日 「大丈夫ですか?・・アナタ」 白い診察服を着ており、聴診器をぶら下げてはいるのだが、顔は子供にしか見えない。 「何か不服なんですかね?」 「いやいや、そういうわけじゃあないんだけどぉ・・ダイジョウブデスカ?」 次男が小さい頃、ポートアイランドのプールに行った折、僕の頭の上に彼が飛び込んできた。 顎の下をざっくり切って、プールは一面血で染まった・・なんだかホラーじみてきたが、怪我をしちゃったわけです。プール棟の隣にちょうどいい具合に神戸市民病院があったので、そこへ飛び込んだ、という次第である。 救急病棟は、インターンの勉強の場となっているらしく、怪我をした子供を抱えた僕の目の前に子供が出てきたので、つい冒頭の言葉が飛び出した、というわけである。 その子供、のような先生は長すぎる診察服を引きずりながら診察ブースに入った。 「縫いましょうか?」 「それをどうするかを先生にお任せしてるわけですよ・・子供みたいなこと言わないでね・・・」 「縫いますよ」 「あの〜、ちょっと、てぇ、ふるえてないですか?」 「んなわけないでしょうが、アナタ・・・」 「うまく縫ってくださいね・・」 「あのねぇ・・余計なこと口出されたらうまく縫えないでしょ・・・かんごふさぁ〜ん、どうやって糸むすべばいいのぉ〜?・・・」 確かに、大学で何年も勉強をし、まずは現場に出ることで仕事を覚えていく。 医者としてはそれが当たり前なんだろうけど、頭でっかちで経験の無い人には自分の子供の怪我や病気を見てもらうつもりはなかったし、今でもそういう気持ちは変わらない。 最初は誰もが経験不足だというのは当たり前だし、それはわかっている。 ただ、「新米だからこそ、こんな失敗やっちゃったらまずいだろうな・・隠すか」 失敗をすぐに明かすことが出来ない。経験の少ない人にはそういうところの比重が大きく占められている。 失敗したら怒られるし、クビになって若くして路頭に迷う。それよりもなりよりもカッコ悪いよな、ってところも大きな要素になってると思う。 素直に何でも受け入れることが、今の時代なかなか出来ないシステムになっているんじゃないかって、そういう点を危惧しているわけでして、今回のJR福知山線の脱線事故(正確に言えば転覆脱線事故だが)はそういうところの心の中の迷いが未熟であるからこそ、操作を誤らせたのでははないかと思うわけですよ。 え〜〜っと、これを書いてる最中にも、テレビのニュースで空港の管制塔のミスが伝えられている。 あのねぇ、もう少し修行をする時間を増やしたほうがいいんじゃないですかね。 昔の言葉で言えば、「たるんでる」というニュアンスなのだろうが、現状では、「責任を追うことを回避してる」ってことになるのだと思う。 子供のような顔をした専門家、というのは緊張感のない顔をした、精神的に熟成しきっていない専門家ということであり、そういう人と接するのは怖いです。 もっと自分というものを知るようにした方がいいと思う。思うけれど、そういった余裕がないのかもしれないね、この世の中。 4月26日 企業のトップっていうのはどうしてこう歯切れが悪いんだろうねぇ。 「ただいまはそういう情報しか受けておりませんので、なんとも・・・」 「置石の可能性も・・」 政治のトップも他人事のようなことしか言わないわけだから、ま、同様なのはわかりきってることだが、いやはやまったく、である。 何かあれば頭を下げるだけで、自分の保身しか考えていないっていうのが映像を通してわかっちゃうのは本当に情けない。 昨日のJR福知山線の事故については、なんともコメントのしようがない。 三田市や宝塚市という比較的大きな街から大阪へ出るのに最もよく使われている路線であり、知り合いの多くもこの路線を利用している。 というわけで、まさかこんな身近でこんなにも悲惨な事故が起こるとは思ってもみなかった。 テレビを見れば、相変わらずの責任回避をするかのような「置石が・・」でしょ。 これは遺族でなくとも、テレビを見てる側の他人であっても、そりゃあないんじゃない、と思ってしまうわけです。 何か事が起これば、責任をとらねばならない側はいち早く情報を入手し対応をしなければいけないのに、責任回避をするための言葉を捜すほうが先。いつまで同じことを繰り替えすんだろうね、いったい。 「安全性は完璧です。ぜ〜〜ったいに大丈夫!」 「考えられないケースだったので・・・、いやぁ、今のところ情報はそれしか受けてないんでねぇ・・・」 原発で何か事が起こったとき、やはりそういう言葉に終始するんだろうか。 遅いってぇの。 4月24日 「SECRET WINDOW」という映画をDVDで見た。 週末の夜、いままでは映画好きの次男と深夜によく見ていたのだが、彼は今オーストラリアに滞在しており、まさか週末だけ映画を見るためだけに帰って来させるわけにもいかないので、一人でウィスキーを飲みながら、見た。 有名な小説家の玄関に、いきなり田舎もんのオッサンがやってきて、 「おめえはオレのストーリーを盗んじまいやがったんだ。訂正してくんろ」 ってところから話は始まり、どんどん引き返すことが出来ない方向へ話しが展開していく、という、まあ映画の新作紹介のような話し方になってしまったのだが、今のアメリカ映画共通の落としどころのようなものをその中に感じてしまった。 精神的に病んでるよ、というのがその基本になっているんですね、これって。 詳細なストーリーと結末をここで書いちゃうとオーストラリア方面から、「そこまで書くんじゃあない!」ってメールが飛んできそうなのでやめます。 「いや〜、切れちゃいました。そのときはどうしてあんなことやっちゃたのか・・・魔が差したというか・・」 そういう状況は今の日本も同じではないかと思う。 なんのこっちゃ?とこれを読んでそう思うかもしれないでしょうが、ま、そういうことです。暗い気持になりたい人にはお奨めの映画です。 ジョニー・デップ扮する小説家はなかなかのもんでした。 「パイレーツ・オブ・カリビアン」のときもよかったけれど、今回もいい味を出してましたね、ハイ。 「こういう下手な文章を並べたときはどうするか・・・」 自分で書いた文章が気に入らないとき、パソコンの画面中のそのセンテンスをマウスで反転させて、一気に抹消する。 DELETEボタンを押し、 「こうだよね」 と言いながら愛犬のチコにウィンクする姿を思わず自分に重ねてしまった。 「うらじゅんがなかなかうまく書けない。こういうときは・・・・」 日曜の昼下がり、バルコニーで書いており、そのシーンを再現しようとして、猫のココにそういいながらキーを押した途端にパソコンのバッテリーが切れてしまった。 4月20日 加納町「志賀バー」の志賀氏の車にトラブルが発生する頃、僕の車にもトラブルが発生していた。いくら車が同郷だからといってもトラブル発生の頻度まで同じだとはね。 志賀氏の場合は「ワガママな彼女」のようだが、僕の場合は「年老いた相棒」ということになるので、そのあたりは少しばかりニュアンスは違ってはいる。 学生の頃、ドイツ車の「フォルクスワーゲン・ビートル」に乗っていた。 その頃にしては珍しく、サンルーフがついており、スカイブルーのなかなかいい車だった。 冬場はヒーターがよく効き快適なビークルだったのだが、夏場は悲惨なものであった。 クーラーは装着されておらず、電圧の関係で新たに取り付けることが不可能だということだったので、三角の開き窓をレバーでクルクル回すことで外の風を取り入れるシステムで我慢をしていた。更に、パワーウインドウではなく、これもまた手動でレバーを回すことで開くような機能しか装備されていなかった。 夏の暑い日、信号で停まっているときに隣に真っ赤な新車が止まる。中には涼しげな女性が乗っている。堂々と窓を開けているのがなんだか恥ずかしくて、肩を動かさずに、まるでパワーウインドーで窓が閉まるように、指だけでレバーを回す、というような無駄な努力をその当時は見栄を張ってやっていた。 そして今。 クーラーがまったく効かなくなり、まるでオッサンの吐息のようななまぬるい風しか出てこない送風口に愛想を尽かし、窓を堂々と開けて街を走っている。 またこの「年老いた相棒」は入院することが決まった。 4月19日 「うらじゅん」の先月までの分がいつの間にか全て消えてしまった。 カウンターも消滅してしまっているのだが、HPのメンテナンスをしてくれているN女史はアメリカに行ってしまっているので、まあ、しばらくはこの状態にしておくしかない。 仕事をしているときでも、計算途中で今まで打ち込んだデータが急に消えちゃったり、細かいところまで書き込んだCADのデータが一瞬にして消えてしまうことも、ままある。 こういうときは、諦めるしかないわけで、仮に今まで書いた「うらじゅん」が全て消えたとしても、仕方がないと諦めるしかないわけだ・・・・というふうに簡単にはやっぱり諦められない。 Nさんが早く帰国することを期待する。 今日は、友人の4回忌である。これから帰宅してバルコニーで彼と1年に一度の乾杯をしようと思っている。 去年はどんなことを書いたかと、それを見ようとしてデーターが消えていることに気がついたわけです。そういうことがなければ気がついてなかったかもしれない。 4月15日 普段ギターレッスンで慣れているはずのライブスタジオのはずなのに、今日は幾分違った風景に映る。照明の関係もあるのかもしれないが、非日常的な場所に自分が置かれていることに少々動揺しているのかもしれない。 午後8時、「森本硝子店」のライブスタジオで「MOONLIGTH NIGHT」が始まろうとしている。 バーカウンターでは既に数人が飲み始めており、ライブが始まるのを待っている。 ゴルフ場で漫才師の「オール巨人」に間違えられ、そのまま「巨人さん」で通したらしいI氏は、本当によく似ているその体型を僕の方に向け、酷似したしゃべり方で僕にこう言った。 「なんや、そわそわしてるけど、どないしはったん?」 「僕の出番は最初なんですよ。初めてなもんだからちょっと・・・」 「かめへんかめへん、だいじょうぶやで〜、まあまあビールでも飲んで陽気にぷあぁぁ〜〜っと、ね」 陽気な人である。 ライティングが少しばかり落ち、森本氏の挨拶でライブが始まる。 プログラムでは僕の出番は5番目である。 シラッキープロが僕のところへやってきた。 「仕事で遅れる人が多いから、次ね。覚悟決めておいてね。」 陽気にぷあぁぁ〜となってる場合じゃあない。 それにしても覚悟を決めておいてね、とは・・・。 ま、プロになったつもりでやりましょ。そういうつもりでステージに立った。 「サボテンの花」と「あの素晴らしい愛をもう一度」を演奏する。 結構声出てるじゃん、演奏途中でそう思いながらできるだけ声を伸ばそうとする余裕まで出てきた。 2曲を終えステージを降りると、ジョンレノンの曲全てを間違いなく演奏できるという、「ジョン中川氏」が握手を求めてきた。 「いいじゃん」 社交辞令でも、こういう風に言われればいい気になってしまうわけで、一応僕の今回のプロジェクトは成功した、ということをお伝えしておきます。 それにしても、どうしてこれだけいろいろな達人が集まってきちゃうんだろうね。 「歌を歌うときに、お腹に気を集中させれば声出るから・・頑張ってね。」 最後までできればそれでいいんだからね、とまるでかわいそうな子を諭すようにそれだけ言ってT女史は帰って行った。 「お先に気をきかせて帰りますので・・」 最後まで歌の練習をさせてあげたい、と珍しく午後6時にオフィスを後にしたI平。 皆様のおかげで、思った以上には出来ましたです、ハイ・・・・でもしばらくは、こういう緊張する場所は避けたいと思っとります。 4月13日 今日はまだI平が仕事をしているのでライブの練習を控えている。 控えているといっても、もう午前1時30分を回ったところなので今日はヴォーカルの練習を諦めるしかない。 まさかこの時間に急に歌い出したら洒落にならないだろうしね。 最近やっと腹式呼吸の基本がわかってきたような気がする、気がするがもう遅いのかもしれない。ライブは明後日の夜である。 せめてギターの弦だけでも張り替えておくようにするか。 4月12日 電車で大阪へ出る。 神戸から大阪まではJRの新快速で約20分。阪神電車、阪急電車に乗ると約25分〜30分程度の所要時間である。 「わざわざ神戸からですか〜、それはご苦労様です。」 大阪で仕事をする場合時々そう言われる場合がある。 「う〜〜ん、やっぱり、神戸よりは大阪の事務所に仕事頼みますなぁ・・・また何かあったらたのんますわぁ。」 そう言われる場合もたまに、ある。 東京都内で仕事をする場合は、同じ新宿区内で移動する場合でも場所によっては30分以上を要する場合があるわけで、今は地図上の距離で時間を計るよりは、移動する際の乗り物によって距離が決まる、という感覚のほうが大きい。 仕事が無い限り、神戸市内でも春日野道か鈴蘭台しか行ったことがないI平などは、「京都」などは遥か彼方の未知の国ほどの感覚なので、打ち合わせに一緒に行くときなどは母親からもらったお守りを腹巻に入れていくほどである。 仕事が忙しいときは、大阪へ行くのもままならないわけで、そういう場合は僕でも大阪が遥か遠くに感じるときも、ある。 「ネットカフェ初!!体ごと洗える人間洗濯機 桜橋店初導入」 そういう中づり広告を電車内で見た。 ネットにはまりきったオタクっぽい青年がはだかで洗濯機の中でぐるぐる回っている図を想像してしまった。 こういう代物は決して神戸にはない。 こういう宣伝を見ると、大阪という街が遠いアジアの国、という気がしてかなりの距離感を感じてしまう。 4月8日 かる〜く引き受けちゃったことを今更ながら後悔している。 「4月にお遊びで懐かしのフォークライブをやるんで、どう、参加しない?いいじゃない、みんなで楽しめば。」 新開地という場所にある「森本ガラス」の社長にそう言われたので、じゃ、やりましょ、って軽く引き受けちゃったのだが、参加するメンバーはヴォーカルのプロはいるわ、ハーモニカの達人はいるわで、ちょっと、みんなでワイワイやるんじゃあなかったんですかぁ? 「あのサぁ、実はライブするんだけどね・・・」 「ギター習い始めてまだ日が浅いのに、すごいじゃん。」 ランチ時にT女史はそう言った。 「ま、それはいいんだけどね、え〜〜っと、歌ぁうたうんだけど、ボイストレーニングやったほうがいいよね」 「え〜〜〜、歌うたうの!」 T女史は小さい頃からずっと音楽をやってきており、ボーカルにかけてもプロ、である。 「で、いつあるの?そのライブ」 「15日なんだけどね、早く言えば、もう目前なのよ。でね、そのボイストレーニングってヤツをやってみようかと思うんだけど、どうすればいいの?」 まるで子供に説教するかのように彼女はこう言った。 「そんなすぐに何とかなるってものじゃあないわよ。歌うってことはそんな甘いもんじゃないんだからね。いまからじゃ〜〜ね〜〜。」 「無理かな?」 「・・・・・まあ、そのまま歌っちゃえば?」 平たく言えば、オッサンのカラオケ並みにガナリたてろってことを、彼女は言いたかったらしい。 「大きく、ハッキリ、、明確に あいうえお いうえおあ うえおあい えおあいう おあいうえ x 数回 → 一息に」 と書いた紙を彼女から手渡された。 夜中にこっそりとこのトレーニングを行い、そういえば少し声が出るようになったかなといい気になって、シラッキーギター教室へ向かった。 「いいんじゃあないですかね、そんなもんで・・・・楽しめればね」 ライブの練習は今日が最後だったのだが、思ったほど納得できるような仕上がりではなかった。 「楽しみましょう。」 笑顔でそう言ったシラッキー先生の目は笑っていなかった。 4月6日 午後5時までに仕事を片付け、いや、多少残っていても無理やりに終わらせパソコンを閉じた。 生田川から阪神高速に乗り東大阪方面に車を向ける。 実は3月24日がゴローちゃんの3回忌だったのだが、切羽詰った仕事が山積みされていたため、どうしても今日になってしまったのだ。 生前彼が好きだったコーヒーと「マイルドセブン」を車に放り込んで渋滞の高速を掻き分けてゴローちゃんの自宅へと向かった。 久しぶりに会ったゴローちゃんは、写真の向こうから 「いくら忙しいからいうても、死ぬほど仕事はしてないやろ。文句言う前にもっと働かんとあかんでぇ。」 僕の心を見透かしたようにそう言った、ように僕には思えた。 オフィスを始めてからこの6月で10年になる。 一人ではここまでは来れなかった。ゴローちゃんや周りのスタッフのおかげでやっとここまでこれたわけだ。 いくら忙しくても、わがまま言ってないで頑張らなくっちゃね、ねえゴローちゃん。 4月5日 入社してから毎年自分のバースデイは徹夜で仕事をしていた、というI平は、今年のバースデイの今日も疲れきっていた。 睡眠不足の彼のために、バースデイプレゼントとして「クレヨンしんちゃんのアイマスク」 をロフトで買ってきた。 「デューク東郷(ゴルゴ13)のアイマスク」にも心引かれたが、最終的に「しんちゃんのアイマスク」を選んだ。 「疲れたときは、これつけて少し眠ればいいよ。ちょっとつけてみてよ。」 「クレヨンしんちゃんのアイマスク」をつけたI平はつける前と同じ顔をしていた。 |