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6月30日 台湾語で、「はじめまして」という言葉は、「ツゥウ・チェィン・ミィェン」だということを、現在、台湾高速鉄道で仕事をしている友人に教えてもらったのが5年ほど前で、それからずっと、「・・ミィェン」だけは覚えていた。 「中国語でも、はじめましてっていうのは『ツゥウ・チェィン・ミィェン』っていうのかな?」 「チュウゴクデハ、ミィェンハ百通リホドアリマス。」 中国から来日して5年ほど経つ、新しいメンバーであるT君がそう言った。 「ん?そんなに挨拶の種類があるの?さすがは4千年の歴史を持つ国だね」 「ミィェンハ、カタイモノカラヤワラカナモノ、ソシテホソイノヤフトイモノガ・・」 まだ日本語が馴染んでないかな?・・・ 「はじめまして、だよ。台湾だとそういう風に言うんだけど、中国は広いから全然違うのかな?」 「ショウユアジデモカライモノカラウスアジマデ・・・」 「あの〜、はじめまして、なんだけどぉぉ」 「チョリノホウホウハイロイロ、ラーユモマゼルカ」 6月28日 ピアスをするために耳に穴を開ける。 今では普通のことになってしまっているのだが、一般的には病院で開けるものだ、と僕は思っていた。 「自分で開けますよ。みんなやってますけどぉ」 若いスタッフのSがそう言った。 「痛くないの?」 「熱いッすね」 もう一人のS女史も自分で開けるらしい。 「自分で体の一部に穴開けるなんてことはできないなぁ。I平も自分で開けるの?」 「自分で肺に穴開けちゃいました・・・」 意味が違うぜ。 6月27日 駅からオフィスに戻る道で、通りがかった路地に傍らにしゃがみこんでいるカップルがいた。それはそれでごく当たり前の日常の風景なのではあるが、通りすがりに耳に飛び込んできた、 「・・それはなきにしもあらず、やな〜」 という言葉が頭にこびりついてしまった。 無きにしも非ず、つまり、無いということはない、ごく低い確率ではあるが可能性は有る、という日本語独特の言い回し方のひとつでもある。 「このプランは変更の可能性はある、ということですか?」 「ふ〜〜む、なきにしもあらず、ってぇところかな」 という風に使用される、曖昧な言葉でもある。 普通だったら、若者言葉として 「それはない、みたいなぁ〜」 とか、 「それは、ないんちゃうけぇ〜」 こういう言葉を多用するはずなのに、 「なきにしも」 である。 思わずその言葉を発した男の方を、チラッとではあるが見てしまった。 シャツをだらしなく着こなした普通の男だった。 「案外教養あるのかも。それも無きにしも非ず、だな。」 心の中でそういうセンテンスが出てきたのだが、こういう場合、こういう使い方をするのもやぶさかではないかもしれない・・・どっちなんだよぅ。 6月25日 「御主人様はお医者様でございましょうか?」 京都の四条大宮から北方向に向かう「MKタクシー」に乗った途端に、60代後半かひょっとすれば70代にかかるかどうかというような白髪の運転手に、そう言われた。 病院の耐震診断を行うために、今日は34度を越すという京都にわざわざやって来たのだ。 確かに行く先は病院だが、 「いえ、違いますよ。」 「じゃあ大学の先生か何かで?」 ヤクザでんねん、と言ってしまおうかとも思ったが、 「建築関係なんですよ。」 「ほっほ〜〜」 「京都は暑いですね、やっぱり」 「おかげさまであつうございますな〜、はははは」 何もアンタのせいでこんなに暑くなってるわけではないんだけど・・ 「御主人様、野球はこのごろ面白ございますよね。」 丁寧なのはいい。でも、この「御主人様」というのは一体なんなんだ。 「交流試合はようございましたですね〜、御主人様」 じぃ、スコッチウィスキーのオンザロックスでももらおうか・・ついそう言いたくなってしまった。 「よかったですね。少しは刺激的なことでもないとプロ野球って人気なくなってきてますからね」 「そうでございますよ、特に阪神、今年は優勝でしょうね、え?ね!ごしゅじんさま〜」 相当な阪神ファンだと、そのときそう思った。 「若い選手が多いし、ジャイアンツなんて目じゃないですよね」 たきつけてみるか。 「そうそう、そうでございますとも。今岡は大好きな選手なんでございますですです・・」 そうか・・今岡のファンだったんだ。 「星野さん、来年はジャイアンツの監督になったりしてね・・ハハ」 「とんでもございません、ごしゅじんさま・・あの方は、やはり「阪神タイガース」のものでございますから」 、ときた。 「ん?あれれ・・ひょっとして行き過ぎましたか・・話に夢中になるとつい道を忘れてしまって」 「大丈夫ですよ、あそこの交差点渡ったら大きな病院の看板が見えますから。」 話は確かに楽しいが、ワタシハ午後1時にその病院に着かないといけないんだよ。 「おお、ここでございますです、ごしゅじんさま〜」 くるしゅうない・・・とでも言えばよかったかな。 6月24日 「B♭からの循環コードと組み合わせを考えてください。」 シラッキー先生からそう言われた。 楽譜を見て、開放弦ではなく高い位置での、つまりギターのホールに近い位置で弦を弾く、ということにやっと慣れてはきたのだが、ジャズギターの理論は日常の不勉強がたたり、未だにビギナーである僕は、先生にそう言われてもただただ頭の中が真っ白になるだけだった。 「前に言いましたよね・・・」 確かにいろいろと教わったことは覚えているのだが、その場ですぐに忘れてしまっているわけで、なんとか思い出そうと今までの資料をかき集めながら楽譜に向かう。 先生からすれば、サルに言葉を教えているような、そういうシーンをおそらく描いていることだろう。 「え〜〜っと、B♭・・ですよね。ふ〜〜む・・・、Aではない、と」 「ドミナントにサブドミナントという言葉を覚えてませんか?」 「3度と7度でしたっけ・・・」 「・・・・・」 まあ、つまりは何にもわかってないわけである。 サルに絵を覚えさせることを諦めたシラッキー先生は、楽譜に丁寧にギターの弦の絵を書いて説明を始めた。 「あ〜〜!そうでした!そうだった。みなまで言うな、思い出しましたよっ、ハイ!」 で、家に帰ったら忘れている、と思う。 金曜の夜は、こうやって平日のストレスを解消している。 6月22日 3物件同時の締め切りをこなすというのは尋常なものではない。 そのうちに自分が何をやっているのかも判断できないくらいになってくる、が、こういう仕事であるがゆえに失敗やミスはぜ〜〜ったいに許されない。 そりゃあストレスも溜まりますぜ。 ストレス解消に始めたジャズギターのレッスン日も迫ってきた。 「久しくレッスンやってませんが、気を抜かずに」というメールをシラッキー先生からいただいた。 気を抜いているわけではないが、指の動きを既に忘れていることだけは自覚している。 金曜日まであと2日。 ギターレッスンの締め切りまでが迫ってきた。 6月15日 大阪へ向かう新快速で珍しく座れた。 蒸し暑いので、上着を脱いで座り、そしてもうすぐJR大阪駅だというところで連絡を取る用意をするためにズボンのポケットに入れた携帯を取り出そうとした。 携帯がない! たいていはズボンの左ポケットに習慣として放りこんであるはずの携帯がない。 上着の内ポケットを探ってみるが携帯はない。どこで落としたのか・・・蒸し暑さによるものではない脂汗がじわっと全身を流れるような気がした。 座席の隅にポケットから滑り落ちたであろう携帯を発見した。 一瞬焦ったが、何事もないような顔をして座席を立った。 これが伏線になった。 「もしもし、天満の件は終わったんで、これから梅田に移動するから。」 オフィスに電話を入れ、T女史にそう言った。 「オフィスの戻るのは、え〜〜っと、梅田に4時だから・・・あれっ!あのさ〜携帯を打合せ場所に置いてきちゃったみたいだぁ・・」 ふと、ズボンも左ポケットに手を当て、携帯の感触がないことに気がついた。 またかよ〜 「それはまずいよ〜、早く取りに行かないと!」T女史もそう言ってくれる。 身体を回転させ、今来た道を戻ること約6歩。 「あのさ〜、え〜っと、携帯持ってたよ・・え〜〜、うん、あの〜持ってました。これ携帯でしゃべってるもんね、はは・・・」 「大丈夫?」 とっさに出ちゃったんだけど、ごまかすことも出来ず、受話器を持ったまま赤面してしまった。赤面した僕の顔を、すれ違うオッサンが不思議そうに見ながら通り過ぎて行った。 もちろん電話を切った途端、T女史がオフィスの中で笑いながらみんなに話をしたのは言うまでも、ない。 6月14日 またやってしまった! 京都の阪急四条大宮駅に着いた途端に バッテリーガフソクシテイマス。ジュウデンシテクダサイ と液晶画面に文字が現れ、ブヒブヒ、というような音を立て振動しながら「Sony Ericsson」の3G携帯電話のバッテリーが切れてしまった。 出張の際に失敗したことを立て続けにまたやってしまったのである。 外出時に携帯のバッテリーが切れると不安を感じてしまうのは、文明に慣れすぎてしまっているわけで、ほんの少し前までは、そのときはそのときで公衆電話があるから別に問題はない、と思っていた。 ところが最近はその公衆電話がない、ということに初めて気がついた。 千本上立売の現場が終わって、藁天神まで移動するときに電話を探したのだが、「IC電話専用」はコインが使えない。わざわざそのためにICカードを買うというのもなんだし、またそのカードというところのものがどこで売られているかも僕は知らない。 やっと片隅に置いてある、懐かしい緑色の電話を見つけたので受話器をとろうとしたのだが、最近ではいつ使われたのかわからないくらいに、受話器から延びるはずのコードが埃をかぶってよれてしまっている。ほぐそうと思っても硬くてほぐせない。 顔を真っ直ぐにして話せないほどにコードがよれているので、その角度に顔をあわせるように電話をかけている図は、客観的に見れば変だと思う。 ことほど左様に最近では「携帯電話」というものは離せないものであるし、バッテリーは必ずチェックしておけという事をやっと学んだ。 「もうすぐかえるから」とひらがなでメールを打っているオッサンの携帯画面が何気なく見えてしまったとき、ふと現代の風情というものを感じてしまった・・・んなわけはないか。 6月11日 「ミュージックステーション」という番組はほとんど見たことがなかったのだが、初めてビデオで見た。 「DEPAPEPE」が出演していたからだ。 モニターに映し出されたM君は、少しテレビ用のキャラクターを創っているように見えた。 演奏はさすがにプロ、でした。 例えば、はじめて「サザンオールスターズ」を見たときのようなそういう新鮮な感性が彼らにはあった。 オリコンのトップ10に入ったというのは素晴らしいことであると思うし、出来ればトップを目指してもらいたいと、オジサン期待しています。 「RAY」というDVDを借りた。 レイ・チャールズの生涯を描いたものであり、内容はとても忠実に彼の感性等が描かれていた。なかなかいい映画でした、少し長すぎるところはあったけどね。 で、そのレイと「DEPAPEPE」がちょっとダブって見えた。 何がダブったかって? レベルは違うのかもしれないけれど、音楽に対するひたむきさが、です。 6月10日 大きな壷の中で10年以上も熟成されているものを、尺で汲み上げ少し大きめのぐい呑みに注ぐ。 沖縄の「泡盛」とはもう10年来のお付き合いであり、地元で飲むと格別に美味いものである。 ただ、強烈な陽射しの中、つまり平日の午後3時を少し回った時間帯にこれを飲むと、アルコールはハブの毒のような勢いで全身を駆け巡る。 スケジュールを全て終え、少しばかり緊張感がほぐれたところで昼間っから度数の強い「泡盛」をグイッとやったわけだから、夕方の飛行機に乗るまではしばらく動けないような状態である。 I平はというとさっきまで少し離れた場所で煙草を吸っていたのだが・・たった一杯の酒、でしゃがみこんでいた。 沖縄に着いたのは前日の昼前だ。 提出用の図面を作るために二人ともここ数日はろくに寝ていない。 午前6時に起き、7時過ぎの三宮発のバスに乗り込み伊丹空港へ向かう。 せまっ苦しいANAの椅子で揺られること約2時間。隣でI平が死んだように眠りこけていた。 沖縄の光はやはり違う。 仕事を早めに終えてエメラルドグリーンの海でも見よう、という僕の願望はすっかり砕け散り、打合せは3時間以上を要した。エメラルドグリーンの海はお預けにはなったが、打合せはスムーズに行われ、「外から来た者」に対する信頼感も少しは得られたという感触があった。 沖縄での夕食は、まずは「オリオンビールの生」から始まる。 沖縄のこの気候には、アサヒやキリンは絶対に合わないと僕は個人的にはそう思っている。 やっぱり「オリオン」じゃあないとね。 ガタン!という音と共に、隣に座っていたI平はオリオンビールを下半身に注ぎ込まれてしまっていた。 疲れているときはこうやって元気付けるのが沖縄の習慣でもある。 翌日は久しぶりにオフタイムを取り、国際通りを歩く。 何度も沖縄に来ているのだが、こんな風にのんびりするのは初めてで、修学旅行生に混じって歩いているのだがどうも馴染まない。 「沖縄は初めてなんだよね〜、のマフィアのオッサンが密売銃を捜して歩く」の図のような感じなんだろうと思う。 以前うらじゅんで、我が家の「シーサー君」は一人でとてもかわいそうだ、沖縄でその相手を見つけてこようと書いたことがあるのだが、今回その漆喰シーサーが置いてある店をやっと見つけた。やっと見つけたのだが、そこには口の開いた雄のシーサーが一人座っていた。 6月8日 「オガワセンセイ、コーヒーはホットでいいですかぁ〜。」 トイレに立とうと移動しているときに向こうの方からそういう声が僕に向かって投げかけられた。 新宿歌舞伎町に近い喫茶店でそんな風に大きな声で呼ばれると正直言って、恥ずかしい。 こういうところでセンセイなんて呼ばれれば、 @ ヤクザの用心棒 A 雀鬼のごとくの麻雀のプロ B 風俗街の裏世界を暴く小説家 以上のどれかにしか該当しないものだと考えられるからだ。 まあ、そう思って見てみれば見えなくは、ないが。 10年以上前、まだサラリーマンをしている頃、大阪の八尾市というところのプロジェクトにかかわり、現場に1年半ほど常駐したことがある。その頃にお世話になったゼネコンの担当者で、今では東京の某大手ゼネコンの取締役に納まっているS氏と久しぶりに東京で再会し、「スタジオアルタ」前で待ち合わせをしたのだが、お互いに新宿で気の利いた食事をする場所に精通しておらず、適当にと入った喫茶店でのことである。 「今更センセイはよしてくださいよ。」 「何言ってるんですかぁ、センセイ!」 ますます@〜Bのどれかに該当しそうになってくる。 久しぶりの東京は、また人と車が増えたような気がする。 それにしてもこの新宿歌舞伎町は、昼間から道端で寝転がってる労働者風のオッサンの脇にホストが立って道行く女性に次々と声をかけているわ、中国語で喧嘩をしているものもいれば、日が高いのに真っ青な顔をしてふらふら歩いている若いおにいちゃんもいる。 相変わらずの東京砂漠っぽい様相を呈している街だ。 東京駅に着く前に、携帯の充電器を忘れてきたことに気づき、JR新宿駅の中にある「vodafoneショップ」に飛び込んだのだが、たった15分ばかりの充電をしてもらうのに約30分も待たされてしまった。 やっぱり東京は人が多すぎる。 6月6日 クール・ビズ、ね・・・・。 Bizと書いて、「ビズー」と読むらしい。 テレビで見る限りでは、政治家がスーツの上着とネクタイをはずし、少しでも涼しげな格好をして、みなさん省エネを実行しましょうよ、と国民にアピールをしようとしているもののように見受けられる。 が、今の状態じゃあ、誰も真似はしないんじゃあないでしょうかね。 以前、某元首相が流行させようと、自らそして自分の息子をもモデルにしたのだが、誰も見向きもしなかった「半袖スーツ」っていうものと同じ流れのような気がするし、狂牛病が流行れば、テレビの前で馬鹿ズラして牛肉を食べるような、ま、その程度のものとしてしか感じてはいないと思う。 お、けっこういいじゃない、っていう感じがまるでないもんね。むしろ老齢者のだらしなさを強調しているようで以前にもまして政治離れが起こるような気がしてならない・・ん?それがひょっとして狙いなのかしらね〜・・・。 沖縄ではその気候から例えばホテルの従業員などは、色の綺麗なアロハシャツを着こなしており、これこそまさに「クール・ビズ」という感じがする。 似合っている人には「似合ってるよ」と、そして似合ってない人に対しては「似合ってないね〜」とは、絶対に言わないように、と御達しが出ているらしく、世間一般の感性とはやはりどこか違った性格が、永田町辺りにはあるようだ。 僕は決してこういう風なオッサンだけにはなりたくはない。今から着こなしのセンスを磨いておきたいと、そう考えている。 「そのシャツは、クール・ビズなんですかぁ?」 ランチを摂っているときに、向かいに座っていたR女史が僕の着ていたシャツを見てそう言った。 だらしなく笑みを浮かべているK首相と自分がダブっているような、そういう気になってしまった。 6月1日 中学1年生の頃だったか、相撲好きな友人の口から「貴乃花」もしくは「花田」の名前を聞いた記憶がある。 かっこいい、とか、すげぇぞ〜などという主観的な言葉しか記憶にはないのだが、確かに「貴乃花」はその頃から活躍をしていた。 京都で浪人をしている頃は、下鴨近くで寮生活をしていた。 食事は寮内で摂れるようになっていたので夕食時はテレビを見ながらということになるわけだ。 午後6時少し前には食事の準備が整うようになっていたので、腹をすかせた浪人生は一気にテーブルの前になだれ込み、テレビが見える特等席を奪い合っていた。 相撲が催される時期は、たいていその時間帯に「貴乃花」が登場し勝ちまくっていたことも記憶に残っている。 あまり相撲というものに興味がなかった僕でさえ、今だに記憶が残っているくらいだから、当時の相撲ファンにとっては、最高のヒーローだったのだろうと思う。 その「貴乃花」が5月30日に亡くなった。 昔は確かにカッコよかったけれど、晩年は寂しいオッサン風になっていったのが惜しまれる。 残された息子たちはこれからが大変だろうと思うが、 「・・・しょうじき・・」という言葉を接続詞的に何度も使用する軽い兄貴と、何を考えているかわからないくら〜い弟。 こういう後味の悪い場面はあまりテレビでは見たくはないものだ。 ヒーローという立場にいた人は私生活をあまり公開してもらいたくはないと、僕は個人的にそう思います。 |